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医学に携わる者として勉強させて頂いた事

小冊子「当来佛を語る」の写真です

錦秀会グループの会長として、経営にもご神示を活用し、5000床まで病院を拡大された籔本氏の、入団当時の体験談を小冊子「当来佛を語る」から抜粋してご紹介します。なお、この小冊子をご希望の方には、無料で贈呈いたします。お申し込みは、こちらのメールアドレスから 件名に「小冊子希望」とご記入の上、・お名前・郵便番号・ご住所・電話番号をご記入の上送信ください。(ご送付以外には、この情報は使用いたしません。)

籔本秀雄氏
健康回復と5000床の病院への発展が実現した
医療法人 錦秀会 会長

人間の体は飴細工

(ここに籔本さんの写真があります。)

(初めて本部に来て)3日目か4日目になると、何をするんだろうと思っていましたら、御遷主様がいろんな病状の人を集められて、信者の方の体を治されるということでした。脊髄が曲っている人とか頚椎が曲っている人などが集まっていました。その中から最初に、脊髄疾患の方、カリエスですね、御遷主様はこれを治すと言われます。座らせて両手で顔を持ち、ぐーっと持ち上げる、そしてぐーっと押える。

「藪本君、君こんなことを医者で出来るか」と言われる。「そんなことしたら、どえらい事が起ります。我々はその様なことは出来ません。交通事故などで首の骨がどうかなっても、首の懸垂リハビリの方法で、少しずつ行う程度で、もっとも何ヵ月経ってもそれが治るという保証はありません。医学的には治るという保証はありません」と申し上げました。ところがその場でその方が治して貰って、涙を流さんばかりに喜んでいる。5人も10人も治されたのです。それを私は目の前で見て、いくら形而下的な科学の粋を集めた医学といっても、手の付けられない分野がある。その分野をいとも簡単に、引っ張ってみたり、押えてみたりし、極端な例で、目に疾患のある方がいて、御遷主様からひょいと牛乳びんのふた程の度の強いメガネを取り上げられて、即、目が見える様にしていただいて、大変な感謝と感激をし、感涙された。その場でその姿を見ていると、"この事象が医学的に解明出来るとか出来ないとか、いう様な偏見的な考えを抱く方がおかしいのであって、現実にこの様な世界が存在する。我々医学に携わる者として勉強をさせて戴かなくてはいけない"と思いました。

薬がいらなくなった

私はいろんな病気を持っていましたから、沢山の薬を持っていました。勿論、外科的処置の必要な大腸ポリープも持っていました。胸の方も(高血圧、心臓病などなど)いろんな病状を持っていたものが、すーっと楽になって来ました。便所へ行き小便をしていたら、"あれ?おかしいなァ?"あの方たちは治療して貰って治った。それを見て不思議に私も楽になって来たな、と思いましたね。私はまだ御遷主様に触っていただいていませんでしたから、こんなに楽になるのなら、"よし、薬を飲むのを止めてしまおう!"と思い服薬を止めました。薬を止めた方が体調がよくなって来たんですね。すいすいと快い、で、これは本当に神様の力で、神様の霊波で、その人の体に入りこの様に治療して行くのだ、と。それから本当に心底から勉強して行こう、と真剣な気持になりました。

待っていたタクシー

(ここにタクシーのイメージ写真があります。)

入団ができて本部での修法の終了のご神示も良ろしいという事になり、"さあ嬉しや!"と帰る準備に取りかかりました。来る時に荷物を、旅行カバン2つにびっしり入れて持って来ていました。両方を提げると重いので、タクシーを呼んでやろうと思い、“タクシーを呼んで良ろしいか”とご神示したら、“NO”の返答。仕方がないので広い道に出るとバス停がありますので、それを利用しようと思い、“バス停に行ってバスに乗ってよろしいでしょうか”と聞くとそれも“NO”です。“ではどうして帰ればよろしいんでしょうか”と言うと、“真直ぐ細い道を行け”と神佛は教えられます。どうしても歩いて行けと言うわけです。“では荷物は後から送っていただけるんですね”とご神示をすると“荷物は持って帰りなさい”と言われる。“そんな殺生な”とは思いましたが、ご神示通りやりなさい、と度々指導されるのでこれも甘んじ、川辺りを重い荷物2つを持って歩いて行きました。

そうして広い道に出たら、黒塗りの中型のタクシーが止っているのが見え、運転手が後ろのトランクをあけて待っていたんですね。私が行くと最敬礼して、"お荷物預ります"と言うんです。まァしかし、ご神示では"NO"と言われていたが、運転手はトランクに荷物を入れ、"どうぞお乗り下さい"と案内してくれるので、乗れと言うから乗りました。

暫く走って運転手が「あなたは何とか言う会社の社長さんですね」と言う。「いや私は違うよ」と言ったら運転手「えっ!?」とびっくり。「私はそこの新生佛教で勉強しての帰りで、大阪に帰る所です」と言いながら、心では"それでは降りなダメだろうなァ"と思っていました。運転手は「ちょっと待って下さい。それでは本社に連絡します」と言って本社へ連絡して、「間違って別の人を乗せました、どう致しましょう」と連絡すると、本社から"それでは本社から別の車を回すので、その人をそのまま送ってさし上げなさい"と言う返事だった様です。

私はそこで、神様のお力を嫌と言う程味合わされたわけです。成程なァ、「タクシーを呼ぶ必要はなかった」、ご神示通りだ。神様はこの様に能いておられるんだ、とつくづく思いました。

御堂の建立

御遷主様が"各病院を見て回る"とおっしゃられ、阪和病院、阪和記念病院、阪和泉北病院と巡回されました。大きな病院ですと何処もそうですが、霊安室というのは地下に配置されており、1階のフロアーは主に患者さんの待合室になっているのが大半です。「これがいけない!」とおっしゃられました。一番大事な霊安室には色々な曼荼羅をはじめとする品々が祀られています。「その上を人の足で踏むということでは、うまくゆく筈はない」と言われます。「ではどうすればよろしいですか」とお尋ねしますと、「『霊安室』の上のフロアーを踏まない様に囲んで、人が踏み込まないようにしなさい」と言われました。それから私共の病院では、何処も「霊安室」の上のフロアーはモールで囲んで、患者さんも職員も、そこは踏めない様にしました。しかし、「それだけではまだ不足で、各病院に『御堂』を建立しなさい」と告げられ、ご指示通りにしました。

* 『御堂』は、病院で手当てのかいなく病没された方々や水子の霊、この地域の古墳や無縁の霊などのご冥福を祈り、併せて入院患者の方々や地域住民の方々の御守護を願って建立されたものです。

それから患者さんの死亡率がどんどん減少し、それによって病室など患者の入れ替わりがはげしくなって来ました。当時2500人程おられたと思います。この現象を神佛はどうされるのだろうと思いました。1日100人程退院する場合もありました。又、200床くらい空床になることがありました。ところが季節が変わり、気候の変化に応じて、暑い夏場には、患者さんの下痢などで入院が増え、満床になり、寒さの厳しい冬場には、狭心症や高血圧の患者が増えるので、バランスが保たれて常に満床の病院になる、という姿が見られるのです。しかも死亡率が減りますから、患者さんが余り動く気配がなくなるために、待機患者が100人くらいになって来たのです。私達が何も特別なことはしていないにも拘わらず、何故この様な結果が出て来るのだろう?と皆驚いていたのです。

病院ぐるみで教えの実践

(ここに阪和病院のイメージ写真があります。)

もちろん、教えを実践するための努力はしていました。御遷主様がお見えになる阪和病院法座でいろいろ質問したり、いろいろ教えをいただいたりして、その後に我々が勉強会を開きました。教えの実践の仕方、お知らせの悟りの実践による処置法などを学ぶ。例えば、詰め所の看護婦は、足に痛みのお知らせがあれば、自分の担当している患者の一人であるかどうか、神佛にお伺いして、急いで病室に走って行くと、丁度、点滴中の患者の点滴が終わりに近づいていて、「もうお呼びしようかと思っていた」とか、極端な話、自殺しようとしていた患者さんが、窓に足をかけ身を乗り出して、まさに飛び降りようとしていた場面に間に合って止めた、とかいろいろな体験をしています。つまり、我々の力が及ばない諸々の体験をさせていただきました。
入団するまではかなり苦しい経営状態でした。先程申しました様に患者さんが増え、満床状態ですが、治った人は治った人で、喜んで地域の人に口コミで紹介する。それによって又増える、という傾向でした。救急病院はおおむね死亡率が高いのです。昔は救急病院へ行くということは、死亡に継がると噂されたものです。それが入団してからは、「救急で運ばれるなら錦秀会に行く。あそこは治してくれるから」と言われ、一時大阪の救急車搬送の30%を確保したことすらありました。その代り我々は寝ることは出来ません。昼も夜も一睡もすることまかりならん、という形で待機する、つまり24時間寝ないで皆が働きました。それで患者さんが増えて来ました。増加する患者さんの為にも総合病院の必要性が出て来たのです。その為には看護婦を養成しないといけない。それで学校を創る。学校を創ったら実習病院が必要となる。どの病院も他所の分までなかなか実習させて貰える所も少ない、それでは自分達で養成病院を創ろうという事になり、創立30周年を機会に阪和住吉総合病院を創ったのでした。