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後でわかった姑の大きな支えに感謝 八王子支部 大矢久美さん 

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  - 大矢さんはご主人とお母様と34年間ご一緒に暮され、4人のお子様も育てられました。

私がどのようにしてこの教えに導かれたか、からお話させていただきます。

私は5人兄姉妹の4番目として生まれました。私の父は、私が3歳の時に脳溢血のため、亡くなっていました。母親は女手一つで子供5人を育てていました。

私も小さい時から家事を任され、よく手伝いをしていました。私は母親の躾もあり、人間では計り知れない大きなお力の存在を感じていました。

  - お母様はとても信心深かった、ということですね。

はい、「いつも神様が見ているよ」と言っていました。

私は母と同じ運命をたどるような気がしていました。つまり、結婚しても相手が亡くなったり離婚したりしてしまうのではないか、と感じていました。

高校3年の夏休みに就職が決まりかけていたのに、叔父から「東京の叔母が美容室を手伝って欲しいと言っている」と聞かされて、手に職をつけていたら食べてはいける、と判断して、美容師になる決心をしました。

流れに沿ったこの選択をしたことで、この教えと「ご縁」を結べたのです。

上京して住み込みで働きながら美容学校を出してもらい、資格を取得しました。自分は、不器用なのでじっくり時間をかけて一人前になろうと思ったのと、先輩従業員が3人いましたので、叔母の立場を考えて、自分から里帰りをしたいとか言わないようにしようと決心していました。

とうとう兄の結婚式にも帰れず、6年間、一度も実家に帰らず、頑張りました。さすがに田舎の母が、お見合いの話があるので一度実家に帰して欲しいと連絡が有り、後に妹の結婚式に帰る事ができました。

私は、母を助けたい一心で、妹の学費の援助や成人式の着物を作ってあげたり、時には、少しずつですが、母と妹に小遣いを送ったり、家族や周囲の人が喜んでくれる事が、私の喜びでした。

30歳までは、お金を貯めるのではなく自分に投資しよう、身に付けた知識や技術はなくならない、と思っていましたので、仕事とは別に色々な勉強をして資格を取りました。そんな時、美容室のお客さんだった田中冴子先生からこの教えの話を聞きました。

  - 教えの種まきを受けた、ということですね。話を聞いて、どう思われましたか?

 はい、「これは本物だ!」と思いました

私はそれまでに色々な宗教に誘われ、3ヶ所行って見て、神様の目に見えない力があるのは分かりました。でも、それを活かす方法がないので、「太陽が一つなんだから宗教を一つに纏めなければいけないのではないか」と思っていました。

そんな時、先生から「神様とお話ができるのよ」と聞いたのです。私は、「私が探し求めていたものはこれだ!」と直感し、「私も連れていって下さい」とお願いしました。

初めて経典の『信仰の指針』を頂き、生き甲斐のページを読んだときには、本当に感動しました。

『誰が見ていなくても神佛はちゃんと見ていて、その人の生きるべき道を照らしておられる』という所を読み、「雑草でいいんだ。神様は、ちゃんとみていてくださるんだ。私の生き方は、これでいいんだ」

と、心から救われた思いで一杯でした。この教えに巡り会えた御蔭で私の人生は、とても変わって行きました。

昭和54年に結婚し、教えを基に生活をはじめました。義母が、「この子のやっている宗教は間違いない。」と言って一緒に勉強を始めてくれました。

そして、私の代わりに本部での泊り込みの修法までしてくれて、なんと義母が入団をして来てくれました。

実は、私が結婚前に入団の申込みをしても、その申込みを教団本部では受け付けていただけませんでした。後になって私ではなく義母が先に入団した理由が分かりました。

  - 大矢さん、それはご自分だけでは入団してもだめだよ。嫁ぎ先のお姑さんとご主人が、勉強して何か大切なことを質問する必要があるよ、ということですか?

はい、そう思います。絵姿で「主人が大変になる」と教えられていたのと、娘の病気、子供たちの骨折、義母の足の麻痺、腰痛などについて質問して、先祖が供養されていないのがわかり、そこから供養のための先祖探しにつながり、主人と義母の協力があってなんとかやり遂げることが出来ました。

  - 簡単に言うと、ご供養されていない大矢家のご先祖が見つかった、ということですか?

 はい、今の菩提寺と前の菩提寺で、たくさんの先祖を見つけさせていただきました。

義母は、73歳の時、脊椎滑り症で手術をしました。この手術の時、脊椎に2本のボルトを入れたのですが、1本だけ拒絶反応が出て抜く手術もしました。

義母が無事に退院して、お彼岸のお墓参りに行った時のことです。大矢家の墓の敷地内に、近くに工事現場もないのに、義母の背中から取り出したボルトに似たナットが落ちていました。

それを見た私は、ご先祖のお骨を踏んでお墓参りをしていると確信し、ご神示で質問をして、主人と二人で最終的にきちんとご先祖の供養ができるようつなげて行きました。

  - なるほど、それで神佛は嫁いできた大矢さんご本人だけの入団は許されず、大矢家の主になる方が必要、ということを教えられたのですね。

はい、義母は85歳になって、以前昼食会に招待されたデイサービスに行きたいので申し込んでほしいといい、すぐ手続きをしました。

この頃から、財布を自分でしまい込んで、取られたと言ったり、探してあげてもまたどこかにしまいまた探すということが起きてきました。

ある日、私の働いていた叔母の美容院に行く時、財布を出してはしまって、また出してはしまっているのを見て、「おばあちゃん預かってあげようか?」と声をかけたら「ああ、よかった。お母さんに預かってもらったら安心だ」といって全部私に任せるようになりました。

義母は、私に全財産を預けて、自分はお金を(全然)持たずに安心して暮らしていました。

義母は、何もかも分かっていて、でも、自分の身は小さくして、私を立ててくれ、頼り切っていつもやってくれることに感謝してくれて、「有り難う、有り難う。私は幸せだ」と言ってくれました。

「この教えのお陰、お母さんのお陰、先祖を大切にすることを教えてくれたのでこんなに長生きできた。そうでなかったらもうとっくにいないよ。」と言っていました。

  - 素晴らしいですね、お嫁さんと思えないくらい、お姑さんを大切にされたのですね。

また、義母が89歳の時、体調を悪くして50日入院しました。貧血がなかなか改善しないので検査をしたら、大腸癌が見つかったのです。

病院では、完全看護だから付添はいらない、と言われましたが、ご神示をすると「ノー」、付き添いなさいが「イエス」でした。私は義母をオムツにしたくない、ボケさせたくないという思いで、先生、看護士さんにお話をさせて頂いて泊まりました。

何回もトイレの介添えをし、話し相手になり、私がいるだけで安心して過ごしていました。親戚の方から「そんなに毎日泊まらなくても大丈夫だよ!」と言われ、ご神示をすると「イエス」で、一泊家に帰り義母を病院で一人にしました。しかし、一人にすると、現実と妄想が入り混じった話をしました。

やはり家族が付き添うということが高齢者のボケを予防する効果があると実感しました。ご神示をいただいて体験することで、わかりやすく教えていただきました。

昼間は、歩行訓練をして、「歩かないと歩けなくなるよ」と励ましながら、ご神示を頂きながら散歩や日光浴を増やしていき、術後13日で退院になりました。

帰りに介護支援センターでポータブルトイレを借りて帰ったのですが、家に入ったら何事もなかったかの様に自分の足でさっさと歩いてトイレに行き、1回も使わずに済みました。

かかりつけ医の先生は、「素人とは思えない完壁な介護をしているね」と誉めて下さいました。

ケアマネージャーも「この歳でリハビリパンツも利用しない人は、100%いないよ」といって下さり、最後の入院まで一人で用を足していました。

  - 今も昔も、嫁と姑の関係はなかなか難しいと思いますが、大矢さんのお宅ではすごく良いご関係だったのですね。

はい、デイサービスの施設の職員さんにも、笑顔で「私は幸せだ。友達に会えるのも嬉しい。親切にしてくれて有り難う」と口癖の様に言っていました。

この優しい義母にめぐり会えたのは、実家の母が、祖母を大切にしていた姿を見ていたからだ、と感謝しております。

新生佛教の勉強では、「実家は仮の宿、嫁ぎ先が本当の家」というご説法があります。

他にも、神佛から

「嫁ぎ先の親を大切にすれば、実家の親は良いようにして下さる」と言うご説法や、

「あんたが親を大事にできなかったらあんたの嫁は、あんたより悪い嫁が来るよ」と言うご説法も頂きました。

結果は本当に努力したことで、良いお嫁さんを連れてきてもらえました。

またその甲斐あって、実家の母は、兄の家族が大事にしてくれて、晩年はとても幸せに暮らすことができました。母も「満足だよ」という言葉を残して3年前に亡くなりました。

  - 素晴らしいですね。嫁ぎ先もご実家も、どちらのお母様も家族が大切にされていたのですね。

義母は97歳のとき、だんだんと体力が落ちて、尻餅を付いて27日入院し、子供、孫、曾孫、親戚の方々に見舞ってもらい、眠ったまま亡くなりました。亡くなっても、私が亡骸を横に、親戚の人に教えの話をしたら、そばについていた次女が「おばあちゃんの唇が赤くなったよ」と言い、見たら生きている様でした。

葬儀の際には、お坊さんからも「いいお顔をしているね。よっぽど大切にしてもらったんだね」といっていただきました。

私は、入団して最初に、この教えを開かれたご遷主様から、直接教えていただいたのですが、「あんたが、一生懸命信仰したらお義母さんは、『安全ピン』で留めといてあげる」というご説法を頂いていました。

  - それは神佛から『安全に』守っていただける、という意味ですね。

そのお言葉通り、神佛の安全ピンは、確実で素晴らしい物でした。神佛を信じ、教えを信じ、ひたすら自分の務めを果たすことに努力しました。その結果、主人の命も救っていただけました。

私自身も、おかげさまで健康で、鼓膜が破れて聞こえなかった耳を聞こえるようにしていただきました。

- 大矢さん、お姑さんには、亡くなった後の後日談もありましたよね。

 そうですね。義母が亡くなって8ヶ月後、机の整理をしたら古い通帳と日記帳が出てきました。

日記帳には、家族の一日の様子が細かく記されていました。これを読んで、私はあらためて義母に対して心から感謝することができました。どうしてかと言いますと、義母は、しっかり家での役目を果たしてくれていたのです。

 義母は、習字、踊り、詩吟などなど、いつも3-4つの習いごとと、毎月妹や友達と旅行に出かけていました。

自分の立場からしか見えない私は、「家の事業や家事は全部私に任せて、お義母さんは遊んでばかり」と不満を持っていました。よく道場で質問もしました。絵姿では、「感謝するように」と教えられましたが、深くさとることはできませんでした。

 義母の日記帳には、4人の子供の習い事の付き添いや、道場の当番、世直し新聞の配布などで、私が外に出かけている間は、子供たちはおとなしく仲良く遊んでいるということが書かれていました。

それを読んだ時、初めて義母の存在の大きさを感じ、義母がいてくれたから子供たちは安心していられたのだと感謝の念が湧いてきました。

-日記帳の中には、お子供さん達からおばあちゃんへのかわいい手紙も一緒に入っていたそうですね。

はい、こんな内容でした。

「おばあちゃん、いつもやさしくしてくれてありがとう。」

「これからもやさしくしてね。わたしもこまらせないようにするからね。」

「おどりがんばってね。わたしもがっこうがんばるからね。」

「このてがみはだれにもみせないでね、だいじにしまっておいてね。」

 それもあってか、義母は「一日でも長生きしたい」と言っていました。

本当にこの教えにご縁をいただき、運命を変えていただけました。心から感謝しております。ありがとうございました。

(東京飯田橋 体験発表会より - 106)

動画レポート: